弥生三月何とはなしに心躍る季節を迎え、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私は、2001年、参議院議員として6回目のお正月を例年通り穏やかに、且つたくさんの先輩・友人たちの訪問を受け、賑々しく迎えることができました。
6年間ずっと国会対策や政務次官などの仕事で正月早々上京するのが常でしたが、今年は通常国会召集が1月31日にずれ込んだこともあり、また7月の選挙に向けて院内/党内の役職を当面お許し頂くことができたことも相まって、各地・各団体の新年会に例年に増して出席させて頂き、特に雪の多い年となった県内を「冬眠しない白くま」のようになりつつ駆け回りました。
1月下旬、株価急落を受けて党内に急きょ設置された「証券市場等活性化特命委員会」のメンバーに(一方的に)選任され、国会開会もあったので久々の上京、しかし、KSD問題による小山・村上両参議院議員の逮捕・議員辞職、外務省機密費横領事件や、痛惜の念に堪えない「えひめ丸」の沈没事故など国会は開会早々荒れに荒れました。
ことは森総理の進退問題に発展し、なんと私のところにもワイドショーからニュース番組まで取材依頼が舞い込みました。それは今年改選を迎える議員を対象とするもので、「森総理総裁では参議院選挙は戦えない」という声を特集しようとする意図が見え見えだっただけに、一切お断りしました。なぜなら、我が国の高校生を乗せた実習船が米国の原子力潜水艦に衝突され沈没したという時に、「国の父」たるべき総理がどういう行動を取るべきかということとそこから来る「資質」の問題、これと「選挙を戦えないから総理を変えろ」という議論とは全く筋の違うもので、私は後者は随分身勝手な話だと思っていたからです。
そんな中、市場は相当厳しいメッセージを発し続け、株価の下落は止まらず、物価下落・消費不振など、春うららのはずの3月上旬はデフレスパイラルの危機に直面することとなってしまいました。
3月9日には与党の緊急経済対策が総理に提出されましたが、10日(土)の総理の事実上の退任表明(と言われているもの)の影響で、その実効性を市場は疑いの目をもって見ているのがはっきりわかっていただけに、私はいても立ってもいられませんでした。
丁度、翌週12日(月)に参議院予算委員会において質問に立つことになりましたので、総理ほか7閣僚に対して、
『政治は政局のためにあるのではなく、国民のため、政策のためにあるんだ』
ということをきつく申し上げ、従来からの持論をぶつけました。
『政治に一刻の猶予も許されるものではなく、「今そこにある危機」に対しては随時緊急招集でもして国民に安心のメッセージを明確に与えてください』
と進言したところ、株価が1万2千円を割り込んだ翌日13日には、経済閣僚を文字通り「緊急招集」して官邸に「緊急経済対策本部」を設置することが決まりました。
政局なお不安定極まりない中で、だがしかし、3月期末を迎え、予算や予算関連法案の早期成立のみならず、米国経済など四囲の状況の変化に機敏に対応しなければならず、我々も世界同時不況に陥ることを避けるためには、皆一丸となって政策総動員で乗り切るべきだと思っています。
皆さん、2001年、子供のころ夢に見た21世紀の幕開けは余りにも多事多難に見えませんか?私は最近特にそう思います。もちろん一人では何もできません。でも一人一人が、それぞれの置かれた立場でベストを尽くして、何かを前向きに変えようとするエネルギーを忘れてしまってはいないでしょうか?何でも政治のせいにしたり、森総理のせいにしすぎたりしていないでしょうか?そんなエネルギーをどうしたら取り戻せるかな・・・・。次の総理は誰かという議論を散々聞いたあと、最近は朝に夕に考えています。
2001年3月16日
年明け以来最長の6日間の東京滞在を終え、帰秋の機上にて
|
|