かつとしコラム

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◆母の日に寄せて

 

  5月第二週の日曜日を意識するようになってどのくらい経つだろう。父が亡くなり秋田市泉の家に一人暮らす母に、私のいささかシャイな性格から長らく「ありがとう」と言えずにいる。今日は思い切って母のことを書こうと思う。


 私の母は山形県長井市の下駄屋に生まれ、わりに恵まれた教育を受けたらしく、父出征後は、子供(私の兄)を抱えて小学校の代用教員をして生活を守っていた。私が生まれたのは終戦後父がシベリアから帰ってのこと、昭和町大久保で。その後雄勝町秋の宮から増田町真人に転勤になって私の幼少時代が始まる訳だが、教員をしていただけあって相当に教育熱心で、地区の集まりなどがあるとオルガンを弾いたりして当時としてはなかなかハイカラな人であった。一方で、町の幼稚園に通うのに家から一里の道を冬でも一人で行かされていたから、いわゆる過保護ではなかった。私の高校進学時に秋田市に転勤になってから今の泉に住んでいるが、86歳の今でも花や踊りの稽古に熱中してすこぶる元気である。去年の盆踊りでは捻挫しながらも張り切って参加し、ちょっとした名物になっている。


 うちは、兄も私も東京に出てしまったし、私の方は時折帰省しては反抗的な態度をとったりしたから、平成7年に私たち一家がAターンするまで両親は寂しい思いをしたと思う。選挙に出るといってからは心配し、当選を喜び、今も気の休まる時がないだろう。ある時、秋田市在住の方から東京の議員会館に手紙をもらった。どこかの病院の待合室で母と隣り合わせになったときのこと、母は私のことをひとしきり話し、「国に捧げた息子だと思っているから・・・」とつぶやいたという。


 いつか孝行したい・・・子供の頃のように一緒にゆっくり旅行でもしたい・・・と甘いことを考えて実行できずにいた私に比べ、母はやっぱり強かった。だからなかなか「ありがとう」って言えないのかもしれない。      


   2001.5.13 

金田勝年

 

 

 

 

 

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