9月30日、私を含め自民党秋田県連幹部が急きょ党本部の総務局長室に集められた。臨時国会も先が見え、解散目前のことだ。用件は「選挙協力」だった。 秋田1区は毎回激戦区で、小選挙区になってからというもの自民党支持者は「おらほの先生」を当選させるべく身を削る選挙を戦ってきた。その戦ってきた相手が昨年12月に与党入りしたからとて、「自民党候補は比例区へ、その相手を1区へ」と言われ、「はい、そうですか」と簡単にはいかないのは当然のことだった。 そんな中で地元の支持者から私に対して出馬を促す声が上った。少なからぬ声だった。公式の出馬要請や提言などと同時に、連日事務所に来ていただいたり、電話やメールで熱い熱い沢山の思いが届けられた。 折りしも県連会長という立場上、党内の調整を優先させざるを得なかった私の態度に、煮え切らないものを感じた方もいたと思う。それでも、皆さん待ってくれた。黙って私の決断を。
10月18日、県連内の一定の方向が出た段階で、私は部屋に籠もった。自分の人生と、政治家としてのあり方を真剣に考えるために。 ……夜中になっても朝になっても結論が出なかった。
自分で指定した期限の20日、朝、玄関を出るとき私は決めた。 「政治に誠意と、分かりやすさを」求め、「筋の通った政治」を志す私にとって、ほんの少しでも理屈にかなわない部分を残す行動がどうしてもできなかった。 記者会見の前後、応援してくれた方々に、お詫びと説明の電話をした。自分の中では大蔵省を辞めて参議院選挙に出るときと同じくらいか、それ以上の苦悩と決断だった。涙の出る言葉をいっぱいもらった。今まで以上に秋田のために頑張らなければという強い思いに駆られた。もはや迷いも後悔もなかった。あったのはたくさんの声に応えられず、自分という選択肢を示すことができなかったことに対する辛い気持ちだった。 次の日、いつものコンビニに立ち寄り、買い物を秘書に頼んで珍しく車内に残っていたところ、店長さんが走って出てきてくれた。「さすがに疲れてるなーー 頑張って」とそれだけ言って栄養ドリンクを秘書の分と二本くれた。有難くて 、有難くて、ドリンクを飲んでまた泣いてしまった。 2003年10月27日 衆議院選公示日を前に
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