昭和30年の閣議決定に基づき事業を開始した我が国の南極地域観測は「宗谷」「ふじ」の『探検の時代』を経て、現在の「しらせ」就航後『観測の時代』へと発展。世界に先駆けて南極上空のオゾンホールを発見するなど、我が国の誇るべき事業の一つである。 それなのに、就航後21年、耐用年数から見て後継船の建造が、平成16年度予算で概算要求されたところ、財政当局はお得意の「現下の厳しい財政状況に鑑み」難色を示したらしい。 私自身が昔は予算査定の当事者だったから、財務省の建物の中にいれば言いたくなる気持ちは分からないでもないが、ことは大きな「夢」と「国の威信」にかかる世界規模の話である。南極観測の先駆者白瀬轟中尉のふるさとが秋田県金浦町ということもあり、地元の小中学生は河村文部科学大臣あてに継続を訴える手紙を書いた。子どもたちの「夢」にもつながる責任ある話でもあった。当然、財政当局への働きかけを懸命に行った。
20日平成16年度予算内示、ゼロ査定。党本部の文教部会でも重点復活項目に上がり、昭和基地に観測隊本体が到着した22日夕方の閣僚折衝において,、船と輸送ヘリコプター2基で80億円要求したうち、設計費4億ヘリコプター26億合計30億円の復活が認められた。 これは、私が今年抱えていた大事な予算項目の一つにすぎず、税制改正とあわせて「少子化対策」「治安対策」「緑の雇用」など毎日抱えきれない程の書類とこなしきれないほどの会議日程を前に 、年末はいつも奮闘の日々である。 にぎやかな予算編成なんて流行らないなどと軽く言うが、本当に当事者なら厳しい財政状況のときほど(地元に予算をもってくるとかいうことではなく=実際、年末の予算編成は箇所付けではないので地元に直結する項目は非常に少ないが)国家予算のなかでの優先順位づけに参画しなければ国会議員をやっている意味がないような気がする。 某野党幹部が12月中旬「(閉会中の)今の時期に(地元に帰らず)東京でうろうろしている新人議員がいたら、だいぶ感覚が違うと言わないといけない」と言ったという記事を見て、違う意味で「だいぶ」どころではない相当な「感覚のずれ」を感じざるを得なかった。
ところで、私の宿舎に今年初めてFAXの機械が入った。いままでは、宿舎備え付けの電話で十分だと思っていたが、年々増すばかりの忙しさに打ち合わせをする時間もどんどん限られてきたところ、「寝る前でも」「起きてからでも」「お風呂でも」私が読めるように、と秘書の配慮(?!)だそうだ。その日来てくれたお客様のことやら、自分がフォローしきれなかった政策についての資料やらが送られてきており、それはそれで新鮮だしうれしいものだ。読むかどうかはその日の酒量にもよるとしても・・・。 2003年12月28日
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