かつとしコラム

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◆「勝年」

 早いもので2007年が幕明けた。
昨年9月外務副大臣を退任した後、ある種の虚脱感に襲われつつも、予算委員会での質問や、週2回の時も多かった東京〜秋田の往復、予算・税制シーズンならではの来客・大会への出席など、やはり息つく暇もない年末を迎えた。

 12月30日に大阪 花園で母校秋田高校ラグビー部の応援をしたほかは、今月15日までびっしり秋田日程だ。こんな時、外務副大臣をやっといて良かったと思う。皮肉だが、すさまじい日程には驚かなくなったし、時差がない分体がついていきやすい。年齢の割りに体力・気力には自信がついたからだ。

 これほど秋田日程が詰まっているのも他でもない、今年の7月の参議院選挙のためである。我々政治家は、選挙に勝ってこその命。私も3回目の挑戦。新人の気持ちで緊張して臨んでいる。

 ところで、2006年東京日程の最後にテレビの収録があった。最近はバラエティ番組からよくお声がかかり、柄にもなく楽しんでいる。テーマは「憲法改正」。その中で、平和教育の話になって、私は自分の原点を語った。

 私の父は、東北電力の発電所に勤務する技師で、だから私も水力発電所のある山の中で育った訳だが、昭和24年、私が生まれたのは、父が敗戦後シベリアに3年間抑留され命からがら帰ってきた直後だった。言葉に尽くせないほどの辛い捕虜生活を送り、それでも「勝ちたかった」「勝ちたい」という気持ちを消すことができず、付けた名が「勝年」だ。

 小さい頃はなんだか嫌な時もあったが、私の体の中には3年間も極寒の地で苦労した父や、あてもなく待ち続けた母のような辛い思いを、二度と日本国民が味わうことがあってはならないという思いがしみついている。憲法9条第1項の「不戦の誓い」が血肉となっている気がする。真の平和教育とは経験を語り継ぎ、心に刻み込むことだ。

 そして、語は飛躍するが、今思えば「勝年」という名前、こんなに有難いことはない。ネクタイもほとんどすることがなかった父は、政治家なんて考えたこともなかっただろうが、選挙に出る身となった息子は「今年は金田が『勝つ』年」を合言葉に頑張っているのだから。
 

2007年1月1日 午前零時の日程を終えて・・・

 

  

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