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10日も前の話になるが、韓国ソウルで国宝一号の「南大門」が放火によって焼失した。我々がソウルを訪問すると必ず見る立派な建物だけに、衝撃も大きかった。

その後の報道は、防犯・防災管理体制のずさんさ、文化財保護施策の遅れ、と言った点に集中しているように見える。

確かに基本的な防犯・防災措置は必要だろう。自然災害もある。
日本も文化財保護対策には力を入れている。

しかし、思えば国宝級の文化財もすべて、その国の国民が歴史の中で築き上げてきたものであり、本来国民の中に自然に存在すべきものかもしれない。

その国民を疑い、あるいは警戒し、防犯・防災措置を強化しなければというのは、近代国家・政治の一つの流れであって、ある意味悲しい逆説である。

人々が本当に幸せならば政治に過度な関心をもたなくてもすんでいくように、国が本当の意味でなすべきなのは、国民をして「放火をしよう」という思いに駆られるような状況に陥らせたりしないことだ。

これは本当に理想であるが、決して忘れてはいけない理想だと思う。

2008年 2月 22日

復活

復活しました!前回のブログを見たという方から、思いもかけず「大丈夫?」と心配していただきました。おかげさまで、すっかり元気になりまた回り始めまています。さらに元気に、一人でも多くの人と触れ合えるように頑張ります!

2008年 2月 21日

発熱

3日前から何だかおかしいと思っていたところ、おととい夜から発熱。
昨日、朝の日程には予定通り出席したものの、午後にはとうとう40.2度!!!

生まれてはじめての数値にびっくり。
前回仕事を休んだのは、確か10年程前の12月予算編成期だった。

今は薬で抑えているが、少々の休養が必要らしい。
ちょっと走りすぎたようだ。

2008年 2月 18日

思い切なれば

15日(金)トンボ返りで上京。
東京永田町で、野呂田芳成先生の出版記念パーティーに出席した。

本の題名は、『思い切なれば必ず遂ぐるなり』。
年間にすさまじい冊数を読破。世界各国を旅し、深い信念が貫かれた政治生活。

日々の活動に翻弄されがちな私は、学ぶところが多い。

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2008年 2月 16日

ホッとするひととき

秋田は連日暴風と大雪だ。
10m先が見えないほどの大荒れの天気で、先へ進むのが億劫になるときもある。

そんな中、こうして温かいお出迎えを頂くと本当にありがたく、心がホッとする。

お一人お一人のぬくもりが、私にとって前へ進む力となり励みになる。

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2008年 2月 14日

アメッコ市

10日(日)大館のアメッコ市にくりだしました。

この日飴を食べると風邪をひかないと言われている、伝統のお祭りだ。

秋田は連日寒い日が続いているが、私も飴を食べて風邪をひかないように頑張ろう!

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2008年 2月 13日

表敬

8日(金)野呂田先生の事務所を表敬訪問。

上京の度に伺っているが、前日ポスターの写真を撮ったので、そうだ!野呂田先生との写真を撮らねば!と思い立ち、一枚撮らせて頂きました。

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2008年 2月 12日

撮影

7日(木)ポスター用の写真を撮影をした。
新人の気持ちで、カメラマンの言うがままにいろんなポーズをとったところ、使わない筋肉が反応・・・。

出来上がった写真は、やはり細い目、形の気に入らない鼻・・・
う~ん。。。

「自分で鏡を見ると、もっと目が大きく見えるんですけどね~」という私に、「カメラは正直ですから」とプロのつれない言葉。

さて、どんなポスターになることやら、乞うご期待!

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2008年 2月 11日

一歩一歩

北秋田市森吉地区の縫製工場訪問。
仕事の手を休めてお話を聞いて頂き心より感謝。

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また、三種町八竜地区にて後援会設立準備会を開いて頂きました。

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2008年 2月 7日

条件整備

たくさんの人に会って感じること。

厳しい冬だから灯油の値段高騰は困る、農業を再生しないとだめだ・・・いろいろあるけれど、高齢のお父さんお母さんと話していて一番に思うのは、子どもたちが帰ってこれる場所にしなければいけないよなぁ、ということだ。

働く場・遊ぶ場・情報・刺激…都会にあって地方に少ないもの、
一方、空間・環境・食材・人情…地方にあって都会に欠けるもの。
両方を生かすインフラ整備はやはり必要だ。

手塩にかけて育てた子や孫が都会で働いている。出世したかもしれないし、裕福で幸せかもしれない。
でも、子どもたち自身もできれば帰りたいと思っているだろうし、今日黙って私の手を握り締めてくれたお母さんだって、口には出さなかったけれど、「帰ってこれればなぁ」と訴えているのかもしれないと感じた。

私も高校卒業後上京し、45歳で秋田に帰った。
ある程度の年齢になってからでも、あるいは退職してからでもいいじゃないか。

帰ってこれる、条件整備をしなければいけないと思う。

そう言えば、90をとうに過ぎた私の母は、見舞いに行くと必ず兄の名前を呼ぶ。兄は神奈川県に住んでいる。今でも気にかかっているのだろう。

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2008年 2月 5日

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