アメッコ市
10日(日)大館のアメッコ市にくりだしました。
この日飴を食べると風邪をひかないと言われている、伝統のお祭りだ。
秋田は連日寒い日が続いているが、私も飴を食べて風邪をひかないように頑張ろう!
2008年 2月 13日
10日(日)大館のアメッコ市にくりだしました。
この日飴を食べると風邪をひかないと言われている、伝統のお祭りだ。
秋田は連日寒い日が続いているが、私も飴を食べて風邪をひかないように頑張ろう!
2008年 2月 13日
8日(金)野呂田先生の事務所を表敬訪問。
上京の度に伺っているが、前日ポスターの写真を撮ったので、そうだ!野呂田先生との写真を撮らねば!と思い立ち、一枚撮らせて頂きました。
2008年 2月 12日
7日(木)ポスター用の写真を撮影をした。
新人の気持ちで、カメラマンの言うがままにいろんなポーズをとったところ、使わない筋肉が反応・・・。
出来上がった写真は、やはり細い目、形の気に入らない鼻・・・
う~ん。。。
「自分で鏡を見ると、もっと目が大きく見えるんですけどね~」という私に、「カメラは正直ですから」とプロのつれない言葉。
さて、どんなポスターになることやら、乞うご期待!
2008年 2月 11日
たくさんの人に会って感じること。
厳しい冬だから灯油の値段高騰は困る、農業を再生しないとだめだ・・・いろいろあるけれど、高齢のお父さんお母さんと話していて一番に思うのは、子どもたちが帰ってこれる場所にしなければいけないよなぁ、ということだ。
働く場・遊ぶ場・情報・刺激…都会にあって地方に少ないもの、
一方、空間・環境・食材・人情…地方にあって都会に欠けるもの。
両方を生かすインフラ整備はやはり必要だ。
手塩にかけて育てた子や孫が都会で働いている。出世したかもしれないし、裕福で幸せかもしれない。
でも、子どもたち自身もできれば帰りたいと思っているだろうし、今日黙って私の手を握り締めてくれたお母さんだって、口には出さなかったけれど、「帰ってこれればなぁ」と訴えているのかもしれないと感じた。
私も高校卒業後上京し、45歳で秋田に帰った。
ある程度の年齢になってからでも、あるいは退職してからでもいいじゃないか。
帰ってこれる、条件整備をしなければいけないと思う。
そう言えば、90をとうに過ぎた私の母は、見舞いに行くと必ず兄の名前を呼ぶ。兄は神奈川県に住んでいる。今でも気にかかっているのだろう。
2008年 2月 5日
年明けから、私も女房もそして周りの誰もが、自分の状況を認識するのが精一杯というほど慌しく動く中にあって、懸案だった引越し第一弾がようやく終わった。
能代市の野呂田先生の事務所の二階が住宅仕様になっていて、そこを使わせていただくことになったのだ。
今までも事務所や自宅を所有する余裕がなく、借家住まいだったが、広い事務所の二階で何となく緊張して座っている(笑)
県北地域のもうひとつの拠点である大館市にも住む家を準備中で、引越し第二弾も楽しみだ。
一方、長年住み慣れた場を去るのはやはり寂しく、昨日秋田市のあるホテルで、従業員の方に
「あら~金田さん~!もう会えないかと思ってた~」
と声をかけてもらったことを今思い返して、有難くて涙が出てきた。
2008年 2月 2日
1月が行ってしまった。
気がつけば今日は2月1日、明後日は節分、来週には立春だ。
昨日、上京する日程の話をしていて、「2月1日の午後は空いているはずだよ・・・」と言ったところ、「あの~2月1日って明日ですよね~」と言われてしまった。
1月はなんと3日間しか東京に行かなかった。
お正月と、17日の後援会セミナーと、29日の男鹿市の要望団上京にあわせて仙台経由で上京したのとで3回だ。
特に29日は、東京に着いてからの40分の間に、外国赴任が決まったご恩のある友人の来訪など4件の約束があり、まっすぐ要望団との会に出たので、どこにいるのか分からないような感覚だった。
地元でも、次へ次へとご挨拶まわりにハードな日程なのに、なぜかゆったりと時が流れているということに改めて気づいたのだった。
おそらくは、迎えてくれる人の心構えがゆったりしているのだろうか。
慌しく客人を迎えた自分を恥じている。
*潟上市天王地区にて
2008年 2月 1日
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