2008年 7月
「なでしこのささやき」
私には、振り返るとさっと手を差し伸べてくれる頼もしいお友達がたくさんいますが、このたび「なでしこ会」とお名前をつけて頂きました。
「なでしこ」・・・可憐で楚々としたそのお花のイメージからは、顔が赤くなってしまうような私ですが、とても有難いことだと恐縮しております。
主人と結婚して23年。主人について秋田に来て13年。
人様のお世話をするのが生きがいの主人を、どうやったら支えられるか自問自答しながらも、自分なりの楽しみを見出しつつ今日までたどり着いたように思います。
去年の落選は、私ども家族にとっても大きな衝撃でした。
しっかりついていかなきゃと思って、必死に踏ん張る主人を、ただただ痛々しく思いながら過ごしていました。
偶然ですが、一年がたって、今日はじめての「なでしこ会」を
北秋田市森吉地区で開いて頂きました。
想いが一杯で上手に言葉になりませんが、周りのすすめもあり、勇気を出して「なでしこ」がささやきました。皆様とのつながりを大切に。
2008年7月30日 金田 龍子
2008年 7月 31日
各地区の会などで膝を交えて話すことを続けてきて、共通した一つの話題にたどり着いた。
「食料品の物価も上がる。ガソリンも上がる。米価は下がる。給料は上がらない。
私たちは明日食べていくのにも知恵を絞っている。
政治をやろうとする人には其処を分かってもらはねばだめだ。
明日のこの町をどうしてくれるんだ。夢のある話を聞かせてほしい。」
そうだな~と、うなずきながら、その答えが容易に出るものでないことも知っている。
夜、布団に入ってからも考える。
そうだ、一つ一つの町の、小さなことでも「夢」を紡ぎ出していこう。
具体的に。
朝、通勤の車に手を振りながら、
「お仕事頑張って下さい。辛いこともあると思いますが、
懸命に働くことで、明日の夢を一緒に紡いでいきましょう」
とつぶやくのだった。
2008年 7月 30日
一年前の今日、参議院選挙の投票があり私は落選した。
政策面、選挙の実務・戦略面、党としても私個人としてもたくさん
の反省を抱えて、呆然と8月を過したのだった。
アスファルトの照り返しが異常に蒸し暑かった東京での引越し作業。
あの時、黙って手伝ってくれた親友への恩は、決して忘れられない。
大学時代から、ビール工場や自動車工場でアルバイトをしたり、
大蔵省に入ってからも寝る時間のない激務だったりしたが、
仕事で涙を流すということはなかった。
そういう意味で、この一年は私にとって、苦しくも貴重な人生経験
だったと言える。
今、挑戦の場を与えて頂き、たくさんの人が私を助けてくれる。
自分はつくづく果報者だと思いながら、今朝を迎えた。
一年前、新しい人生の始まりだと思ってこのコラムを書いた。
その気持ちを忘れずに、良い意味で過去を吹っ切って生きていこう。
2008年 7月 29日
26日(土)は、日本の快水浴場100選にも選ばれている、三種町釜谷浜海水浴場にて行われた「サンドクラフト2008inみたね」へ。
佐藤町長より砂像についてのご説明、ご紹介を頂いた後、サンセットセレモニーでは一言ご挨拶をさせて頂きました。
2008年 7月 28日
秋田県還暦軟式野球大会に大会会長として参加。
開会式にて一言ご挨拶、開幕試合では始球式もさせて頂きました。
2008年 7月 26日
JAかづの女性部役員と語る会を開いて頂きました。
2008年 7月 25日
少林寺拳法秋田県大会が、能代市の二ツ井体育館で開催された。
大会会長・秋田県少林寺拳法連盟会長としてご挨拶の機会を頂き、心を引き締めた。
子どもから大人まで、ともすれば失いがちな合掌の精神。
他を敬い自己を制する厳しさのようなものを、武道はいつも伝えてくれるように思う。
2008年 7月 24日
私が散髪で気分がすっきりするのと同じように、女房の肩までの髪がすっきりと切りそろえられ艶々と整っているとき、疲れが取れているように見える。
私は、全国の美容組合の顧問も務めさせて頂いたから、美容師の先生方に対する尊敬の念が強い。
おかげで、女房が髪を切ったのに気づかないでいる、ということは・・・やはりある(苦笑)。
先日、秋田県美容技術選手権大会が開催され、喜んで出席させて頂いた。
そして、今日は東京で開かれた「全日本美容生活衛生同業組合連合会創立50周年記念式典・祝賀会」に出席。
一言ご挨拶の機会を頂きました。
2008年 7月 23日
連休は、2日続けて「東北理容競技大会・秋田県理容競技大会」の歓迎夕食会と、開会式に出席させて頂きました。
2008年 7月 22日
由緒ある綴子神社(北秋田市)の例大祭へ。
夏だ!祭りだ!という高揚感とともに、歴史や行事の由来にも興味がわき、大変厳粛なひとときを過ごした。
2008年 7月 21日
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