2011年 9月
実りの秋、地元は黄金色に染まった田園風景が広がっています。稲刈りを控え、皆さんそれぞれお忙しくされていることと存じます。先日、11年産米の作柄概況が発表されました。夏の日照不足と低温が影響してか、秋田県は2年続けての「やや不良」、ここ数日の大雨の影響も心配されます。
さて、私ごとで恐縮ですが、早いもので6月8日の退院・復帰から3か月強、3月10日の入院から約半年が経過しました。私自身、初めての入院経験でしたが、ちょうど大震災と原発事故の発生という国難の時期と重なり、スピード感のない政府の対応を見ていて、霞が関と永田町37年の経験を持つ時運が、電話での対応は出来ても、先頭に立って走り回らなければと思いつつ動けないことに、もどかしい気持ちでいっぱいでした。
今は、週1~2日程度リハビリに通いながら、朝は宿舎でストレッチや自主トレーニングを続けており、国会周辺でもできるだけ自分の足で歩くように心がけています。お陰様で大幅に改善し、杖を持たなくても歩けるようになりました。皆さんに「すっかり良くなりましたね!」と声をかけられて、それが嬉しく励みになっています。
13日には、新政権になってはじめての臨時国会が召集されました。野田政権は所信表明演説で、「正心誠意」という言葉を用いましたが、そうであるならば、数々の山積する課題・国難の中で、当然会期を十分にとり予算委員会を開き、与野党で誠心誠意議論を重ねるべきであります。ところが、すでに破たんした公約(マニフェスト)の総括や震災復興・原発対応など、野田政権の今後の方針を示す場であるはずの国会をわずか4日間の本会議のみで閉じようとしたのです。しかも、与野党の合意がない中で採決を強行して4日間の会期を決めたやり方は、まさに姑息な手段であり、誠実さが全く感じられす、事実上の審議拒否と言えます。本格的な復興予算である第3次補正予算の速やかな審議と成立に向け、国会は休んでいる場合ではありません。まして、被災地の皆さんは一日たりとも休んでいないのです。
鉢呂経済産業大臣は「死のまち」、「放射能をつけたぞ・・・」という、被災者の心を踏みにじる発言によってわずか9日間で辞任し、一川防衛大臣は、自らを素人と発言するなどの不適材不適所内閣ぶり。また、多くの大臣は担当する各分野で、その責務にふさわしい経験や実績を持たないと言われています。各大臣の器量と総理の任命責任の追及も、国益を考えた場合重要な国会の使命です。
民意を経ないで誕生した野田総理大臣が、2年で3人目の総理であり、国会でのまともな議論も期待できない「不完全内閣」(平野民主党国対委員長発言による。)だと言うならば、やはり、直ちに国民に信を問うべきではないでしょうか。しかも、野田総理はかつて、「国難の時こそ民意を問う(総選挙を行う)のが筋だ」と主張しておりました。しかし今は、「国難の時に政治空白を作るな」というもっともらしいことを言っておりますし、また、かつて「不況の中での消費税増税はありえない」とも言っておきながら、3次補正予算の財源についても増税の方針を打ち出しています。
総野党の抗議により、会期4日目の本日最終日になって、急きょ会期の14日間延長を譲歩しましたが、総理が代わってもその場しのぎの試行錯誤の連続による政権運営は相変わらずです。
これ以上、言ったこととやることが違う政治、立場が変われば言うことが変わる政治、朝令暮改の政治・・・こうしたブレる政治を許す訳にはいきません。
震災から半年。被災者の皆さんは今もなお苦しい生活を余儀なくされており、原発事故も未だ収束の方向が見えません。そして、アメリカ同時多発テロから10年。原発の在り方を含めたエネルギー政策、テロとの戦いなど世界の価値観が大きく変わっていく中で、政権交代以降日本外交は確実に弱体化しています。普天間基地移設問題やアジア周辺諸国との関係、大震災からの復興と原発事故の収束を確実に進めていきながら、円高や景気、雇用、社会保障、TPPの問題など、内政外交ともに待ったなしの状況にあります。
節目の半年を迎え、被災地の皆さんの命と希望がかかっているこの大事な時に、国会議員であるということの責任を自覚しながら、こうしたたくさんの課題の解決のために、決意を新たに全力で取り組んで参ります。
この夏場の活動 ↓
http://www.e-apli.net/kaneda/topics/images/20110916.pdf
2011年 9月 16日
民主党前原政調会長は、野田政権の元での新たな政策決定システムを発表しました。
かつて民主党は、自民党の政権運営の手法に対し、「族議員の温床、業界・官僚との癒着を生む」、「政府と党の権力二重構造」とさんざん批判し、「政治主導」を主張してきました。しかし「政治主導・脱官僚」を掲げる鳩山元総理、菅前総理がことごとく行き詰まったことへの反省なのか、ここにきて、廃止したばかりの各省庁の事務次官会議を復活させるとともに、小泉政権当時の経済財政諮問会議と似た組織を立ち上げたほか、政策決定に、政府と党の2重になる、党の事前審査制を導入することを決めました。自ら「旧来型の政策決定システム」と批判し、公約(マニフェスト)に「内閣での政策決定一元化」をうたっておきながら元に戻すという、またひとつ民主党の公約違反のブレが明らかになりました。
私は7月19日の予算委員会の質問で、財源を中心に民主党の公約(マニフェスト)の多くが破たんしていることと、民主党政権に意思決定システムがないということを追及しました。
7月21日には、当時の岡田幹事長が会見で、2009年総選挙で掲げたマニフェストについて「実現できていないものがある。見通しの甘さについて率直にお詫びしたい」と謝罪しており、また、菅総理(当時)も22日に「財源問題で見通しが甘い部分があった。不十分な点は国民に申し訳ないとお詫びしたい」と言及するなど、党のナンバー1・ナンバー2が相次いで、さも私の追及に応えるかのように政権公約不履行を認め謝罪するという異常事態となりました。
財源なき公約(マニフェスト)破たんを認めた上に、政権運営・政策決定システムについても、さんざん批判してきた自民党の手法をここにきてまねるなど、2年前に「政権交代で日本を改革する」と言っておきながら結果、国民を欺いたことが明らかになりました。
自らの言葉に責任を持たない民主党に政権を担う資格はないということは言うまでもなく、民意(選挙)を問わずに自分たちだけで3代目の首のすげ替えを行って誕生した野田政権に正当性がなくなたことが、ここにはっきりしました。
2011年 9月 14日
昨年6月の菅政権発足から1年3か月、ついに菅総理は辞任し、新しい民主党代表・総理大臣に野田佳彦氏が選出され、歴史的な政権交代から僅か2年で3人目の総理に代わる事態となりました。
一昨年の総選挙の時民主党は、無駄の削減で政策の財源をいくらでも捻出できると言いながら、財源は見出せず全く実現できませんでした。菅前総理だけでなく、鳩山元総理も含め、民主党政権そのものが、言葉や公約とその実現に責任を持たない政権だと言わざるをえません。
かつて、自民党が総選挙以降3人目の総理を選ぼうとしたことを、民主党は「民意(選挙)の選択を経ていない」と批判しておきながら、自ら3人目の代表・総理を民意を経ずして選んだことは言行不一致です。
財源が確保できず国民に約束した政策が、ことごとく行き詰まり実現できなかった以上、民主党政権の正当性はありません。野田新総理は、しっかりとそのことを総括・反省し国民に謝罪した上で、解散して民意を問うべきです。
私は予算委員会でも指摘しましたが、民主党政権は、国民受けの良い心地良いことは強調するが耳障りなことは先送りし、責任を他に押し付け自ら責任を取ろうとしません。思い付きや場当たり的なその場しのぎの政権運営が続くのは、民主党内にしっかりとした意思決定プロセスがなく、最終的に集約する意思決定機関もないからです。
新内閣の閣僚を見ても、これまでの実績や経験が乏しく手腕は未知数であり、グループ(いわゆる派閥)のバランス、代表選の論功行賞で選ばれた人も多く見受けられます。就任後早速。「素人だから・・・」などと発言する大臣もいたようですが、そのような心構えでは、東日本の復興や原発事故の収束をはじめ、円高への対応や雇用問題など、この難問山積の今、それぞれの閣僚がリーダーシップを発揮して官僚を使いこなしていくことは難しいでしょう。
野田政権は「3度目の正直」にはなりえません。「2度あることは3度ある」、そもそも民主党には政党の根源たる綱領がなく、財源の裏付けのない公約(マニフェスト)はすでに破たんし、前原氏を政調会長に据えたところで、政策決定システムがはっきりしていないという、政権政党以前に責任政党たりえない状況にあるのが民主党です。
来る臨時国会では、本格的な復旧復興予算である第3次補正予算を、速やかに成立させるのはもちろんですが、民主党政権が続く限り、国政の停滞と混乱から抜け出すことは出来ません。国と地域の課題解決のために、決められない政治、進まない政治からの脱却を目指し、私の与えられた立場でしっかりと追及していきたいと思います。
2011年 9月 3日
第93回全国高校野球選手権大会に2年連続で出場した能代商業高校の健闘をたたえる報告会が能代市内で開かれ、私も地元市民として嬉しく出席させて頂きました。
県勢で14年ぶりの初戦突破を果たし、2勝をあげベスト16まで勝ち進んだ能代商業高校は、昨年の大敗から「甲子園で借りを返す」ことを合言葉に、たゆまぬ努力を重ねてこられました。私も昨年に引き続き甲子園球場に出かけました。
前日の夜に開かれた激励会で選手の皆さんに私は、「2年連続で鹿児島県勢との初戦。去年のリベンジをかけて頑張ってきたことを思い出し、自分を信じチームの仲間を信じること。そうすれば結果はおのずとついてくる。自信を持って頑張れ!」という話をしました。
迎えた1回戦、2年越しの夢である初戦の勝利を味わいたく皆さんと一緒に声を枯らし応援しました。昨年は緊張感から抜け出せず、為す術なく悔しさだけを残して甲子園を去った選手たちでしたが、今年はパワー、スピードともに見違えるほどに成長し、全国の舞台で堂々と戦う姿に、同じ能代市民・秋田県民として誇らしく感じました。6回表に逆転した時、感動のあまり涙が溢れるのを覚えました。
3回戦は激闘の末惜敗。紙一重でベスト8を逃しましたが、信念を持ってあきらめずに努力すれば道は開けるということを、選手たちは多くの皆さんに教えてくれました。工藤監督はじめ先生方のご指導と親御さんの支えがあっての甲子園3連戦だったと思います。その戦いぶりに評価が高まり、山口国体にも出場することが決まりました。
甲子園に爽やかな旋風を巻き起こした能商球児は秋田の誇りです。これからも「能代っこ」らしく伸び伸びと頑張ってほしいと思います。試合後に工藤監督が話していた「最終目標は日本一」。それは決して夢物語ではないと期待させてくれるような、久しぶりに野球で秋田が沸いた、忘れられない熱い夏になりました。
この上ない感動を県民に与えてくれたことに、心からお礼を言いたいと思います。
2011年 9月 1日