トピックス

夏、急に不帰の人となった沢先生とは、厚生労働委員会でご一緒。秋田視察にも見えるなど本当に親しくさせて頂いていただけに、私にとっても大きなショックでした。
本会議場において謹んで哀悼の演説を捧げました。(全文)

9/26 故沢たまき 先生に対する哀悼演説                                

 本院議員沢たまき先生は、去る8月9日、清水谷議員宿舎において虚血性心不全のため逝去されました。享年66歳でありました。

 つい先日まで、厚生労働委員会の理事として元気にご活躍されていたお姿を、間近に拝見していた私にとりまして、あまりにも突然の訃報であり、いまだに信じられない思いでいっぱいであります。誠に痛惜哀悼の念に堪えません。
 私は、ここに皆様のお許しを得て、議員一同を代表して、故沢たまき先生の御霊に対し、謹んで哀悼の言葉を捧げたいと存じます。

 沢先生は、昭和12年1月2日、神奈川県川崎市にお生まれになりました。
山脇学園高校、山脇学園短期大学へと進学された先生は、高校時代、校内の英語弁論大会の弁士に選ばれ、2回出場していずれも優勝するなど、高校生の頃から多才ぶりを発揮されたといいます。そして、短期大学在学中の昭和31年、ラジオ番組の勝ち抜き歌合戦で優勝した後、「大学生歌手1号」として歌手デビューを果たされました。
 また、女優として映画、舞台、テレビドラマ、テレビコマーシャルに出演し、さらには、テレビ、ラジオ番組で司会をされるなど、その活躍ぶりは枚挙にいとまがありません。特に、テレビのアクションドラマにおいて、颯爽と主役を演じられていたお姿は、今なお、私どもの記憶に残っているところであります。共演した多くの女優の皆さんから親しみを込めて「オネエ」と呼ばれていたという先生は、芸能界において極めて大きな存在でありました。

 そんな先生に大きな転機が訪れます。平成10年の参議院通常選挙において公明党から比例区で立候補され、見事に当選を果たされたのです。爾来、参議院での活動の中心を国民福祉委員会及び 厚生労働委員会に置かれ、理事も務められたほか、議員運営委員会、予算委員、国民生活・経済に関する調査会理事、国際問題に関する調査会理事等を歴任されました。

 また、公明党においては、女性局次長、少子化対策本部副本部長、厚生労働部会児童福祉小委員長、国会対策副委員長等、数々の重責を果たされるとともに、地雷除去支援小委員会委員長として、地雷による世界のいたいけな子供たちの悲惨な被害をなくすため、積極的に取り組まれ、わが国における対人地雷の全廃に貢献をされました。

 先生は常日頃、周囲の人たちに「普通の主婦が理解できる、分かり易い政治に徹しなければならない」と語っておられたといいます。そして、これを実践するために、五年間に参議院で99回にも及ぶ発言をされ、小児医療の拡充、児童虐待の防止、不妊治療の経済支援、働く女性への支援のあり方等、身近な問題について、、主婦の目線に立った提言を行ってこられました。その中でも特に、昨年の臨時国会で成立した「母子及び寡婦福祉法等の一部を改正する法律案」の」審議では、自らの子育て経験を生かされ、政府側に鋭く切り込み、母子家庭における養育費の履行確保に向け、並々ならぬ決意で質疑をされておられました。そうした先生のお姿は、まさに真剣そのもので ありました。

 また、歯止めのかからない少子化に対し強い懸念を示されていた先生は、国民生活・経済に関する調査会において、少子化対策のあり方について、幅広い観点から質問し、意見表明を行うとともに、次世代育成支援対策の充実にご尽力されました。さらに、国際問題の解決には、文明文化の交流が 最重要であるとのお考えから、国際文化交流の促進にも、熱心に取り組まれ、国際問題に関する調査会においても様々な提言を行われました。

 このようなご活躍をされていた先生を語る上で、忘れてはならないことがあります。それは、音楽療法への取組みです。当選して間もない頃、東京都調布市の総合福祉センターで自閉症児に行われていた音楽療法に出会った先生は、そこで深い感銘を受けられたといいます。ご自身が歌手だったこともあったのでしょう、音楽を通じて、言葉が使えない障害者や自閉症児、お年寄りなどが変化していく姿を見て、先生は音楽療法の重要性を認識されたのであります。

 しかし、わが国においては音楽療法に対する認識が低く、音楽療法に携わる方々の数が少ない上に、そのほとんどをボランティアに頼っているという現実を目の当たりにして、先生は音楽療法に関する法整備と普及拡大を心に誓われました。公明党女性委員会の音楽療法対策プロジェクトチームの座長に就任された先生は、現地調査やセミナーを積極的に行い、本年4月には、音楽療法推進議員連盟の事務局長にも就任されました。そして、音楽療法の確立に向け、先生がその実力を遺憾なく発揮されようとしたその矢先、不幸は突如として訪れてしまいました。

 音楽を通じて人間としての生甲斐を与えたい、そのために音楽療法を確立し、多くの人たちに生きる勇気を与えたい、歌手として多くの人々を魅了してきた先生の言葉は、誰もが納得できる重みのある言葉でした。歌手として、参議院議員沢たまきとしてできることはこれだとの信念のもと、全力で取り組まれていた先生のお姿を思い出すと、志半ばにして不帰の客となられた先生の 御心中は察するに余りあります。

 また、先生は人権を無視した言論の暴力と懸命に戦う正義感の強い方でもありました。当選して一年ほどたった頃、ある週刊誌が先生を中傷する記事を掲載しました。その記事の内容は全く事実無根でありましたが、このことを通じて先生は無責任な報道がもたらす被害の恐ろしさを身をもって体験されたのであります。そのため、先生はこのようなことが二度とあってはならないと、予算委員会でたびたび報道と人権の問題を取り上げ、世に警鐘を鳴らし続けたのです。これは、こうした経験をなされた先生だからこそできたことであります。

傍聴席のご遺族に向かって哀悼の意を表す金田議員
 

 顧みますれば、参議院議員として、国民福祉委員会で初めて質問に立たれたとき、先生は「政治家は大衆とともに語り、大衆とともに闘い、大衆の中に死んでいくという姿勢で国民生活の向上と幸せのために働いていかなければならないと思っております」とおっしゃられました。その言葉通りに、社会保障の拡充や報道と人権 の問題に一心不乱に取り組まれた先生は、その初志を貫徹された政治家でありました。

 「全ての委員会で発言し、いろいろな問題提起をしていきたい」と周囲の人たちに語っていたという先生の思いは、半ばで絶たれてしまいましたが、残された我々は先生が提起されてきた諸問題の解決に向けて、今後努力していく決意であります。

 21世紀、本格的な少子高齢社会を迎えたわが国にとって、安定した社会保障制度を構築することは喫緊の課題であります。こうした中、社会保障分野においても様々な提言をなされてきた先生を失ったことは、 御遺族の悲しみはもとより、本院にとっても、また国家にとっても大きな損失であり、誠に痛恨の極みであります。

 ここに、謹んで、在りし日の沢たまき先生のお人柄と御功績を偲び、院を代表して御冥福をお祈り申し上げ、哀悼の言葉といたします。

   平成15年9月26日

   参議院議員 金田 勝年

 

※このホームページに掲載の記事、写真などの無断転載を禁じます。全ての
著作権は金田勝年及び金田勝年事務所に属します。 


《東京事務所》03-3508-7053

国会で成立した法律についての資料等ご希望であれば、お気軽にご連絡ください


Copyright (c)2000-2002 金田勝年事務所. All right reserved.