〜1973年入省組の奇跡 「東大卒」次官が消える〜
先日、雑誌「アエラ」の取材を受けた。霞が関における昭和48年(1973年)入省者の話だ。
私もその一人。
人生の中で最もショッキングな出来事の一つ、それが昭和44年の東大入試中止だった。
その前年、決して余裕があるとはいえなかった両親を説得し浪人することを許された私は、秋田から夜行寝台で一人上京、千葉の駿台中山寮に暮らし一年間猛勉強。
いざ、出陣!というときになっての東大入試中止だった。
今では大きな財産となった一橋大学経済学部から、大蔵省に入省したのがその4年後。おかげでかなりの反骨精神が養われていたため、東大法学部卒ばかりの職場でも暴れ馬の類だった。
記事にあるとおり、多くの優秀な同期とともに団塊世代の末っ子として、大きな荒波にもまれながら人生を送ってきたように思う。
そして、霞が関において我々は、東大法学部出身に限らず様々なバックボーンを持った人材が果たす役割を身をもって示してきたし、現在の「公務員制度改革」における議論にも、大きく貢献するところがあるのではないかと内心自負している。
アエラ3月3日号に登場(PDF:292KB)
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